九州産直通信

え?大分県にザビエル?!意外な歴史を発見【九州の歴史シリーズ】

え?大分県にザビエル?!意外な歴史を発見【九州の歴史シリーズ】

こんにちは、九州お取り寄せ本舗のPRプロデューサーTANAKAです!

歴史の科目は得意ではありませんでしたが、年を重ねて経験値が少しずつあがってくると、歴史を面白く感じる瞬間が増えてきます。

このコーナーでは、九州の歴史についてシリーズで紹介したいと思います。

名産品や特産品と呼ばれる食品は、全国津々浦々どこにでも何かしらありますよね。代々受け継がれてきた歴史あるものから、ここ数十年で新たに名産品の仲間入りを果たしたB級グルメ的なものまで。その多くが日本で生まれたものだと思います。

日本で生まれたもの以外に、海外で生まれたものが数多く名産品となっているのが九州。特に長崎県や鹿児島県は、室町時代から江戸時代にかけて、数多くの食料品のほか、鉄砲などの武器から様々な雑貨類、芸術品、医学や天文学などの“海外品”が入ってきました。

すぐに思い浮かぶものと言えばカステラ!ですが、そもそも砂糖もこの頃に持ち込まれた南蛮渡来品だそうです。

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これらを持ち込んだのは主にキリスト教の宣教師。代表的なのがフランシスコ・ザビエル(以下 ザビエルさん)ではないでしょうか。胸のあたりで両手をクロスさせた、お決まりポーズのお髭のおじさま。このビジュアル、いつ見てもなかなかインパクトありますね。

フランシスコ・ザビエル

スペイン人のザビエルさんは、1549年、当時のポルトガル王の依頼で日本へ宣教活動に出かけます。最初に来着したのは鹿児島県。その後、長崎県の平戸や山口県山口市で宣教活動を行い、ポルトガル船が来着したことを聞きつけて大分にも出向いています。

この頃、九州を中心にポルトガルとの貿易が盛んに行われていましたが、きっかけとなったのは1543年に鹿児島県・種子島で起きた事件。日本では「鉄砲伝来」として伝えられていますが、ポルトガル的には「黄金の国ジパング発見」です。

世界宣教を目指していたイエズス会の目的と合致し、新たに発見したジパングも宣教活動の対象となり、貿易が盛んになったようです。

ところで実際の宣教活動ってどんな感じだったのでしょうか。日本人からすれば、それまで見たことのない、そして言葉も通じない外国人が来て、あるいはザビエルさんからしたら自分の話していることを理解しているかも分からない人たちを相手に、どうやって宣教活動を行っていたのか、気になりますね。

とは言え、着実に信者(キリシタン)を増やし、あわせて南蛮渡来の食料品や雑貨類も、数多く日本に伝えているのだから、きっと友好的な交流のもとで行われていたのではないかと想像しました。

さて、サビエルさんは日本におけるカトリック宣教の草分け的存在として歴史的にも存在感抜群の方ですが、サビエルさんをモチーフにした名産品は実はそんなに多くありません。というか、一つしか知りません。

それは大分県が誇る人気のお土産品「南蛮菓子ざびえる」。

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天文20年(1551年)豊後の国を訪れたフランシスコ・ザビエルは、大友宗麟の庇護を受け、神の教えを広めると共に、小学校や大病院を次々に建て、府内の街(現在の大分市)に、南蛮文化の花を咲かせました。その功績を讃えて、和洋折衷の菓子・南蛮菓「ざびえる」が誕生しました。

※「ざびえる本舗」(http://www.zabieru.com/xavier/)ホームページより引用

南蛮貿易、南蛮渡来と言えば、九州の人ですら長崎を思い浮かべてしまいがちなので、以前は“大分のざびえる”に違和感を覚えていました。

でも、歴史のひもを解くと、実は大分の開港は長崎より20年も前から始まっているのです。そして南蛮文化を広めたのは、当時この地を治めていた戦国大名の大友義鎮の功績があったからこそ。

こうやって調べてみると、大分にとってザビエルさんの存在がいかに大きいものかが分かります。50年以上続く銘菓を楽しみながら、500年以上前の当時を思い浮かべてみるのも良いかも。

今回はザビエルさんや大友さんのことについてお伝えしました。さて、次回はどんな歴史の紐を解いてみましょうか。

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この記事を書いた人

Motto: 走るライター

観光スポットを走りたくなる年頃。