九州産直通信

日本のだし文化のお話し[前編]東西で異なるだし素材とは

日本の食文化に欠かすことのできない「だし(出汁)」。 

「和食の味の基本の基」で、料理の素材をより美味しく引き立てる「うま味」が凝縮されています。具材と一緒に煮炊きせず、下ごしらえとしてひと手間かけることで引き出される美味しさが、和食の付加価値にもなっているのでしょう。そんな日本の「だし」は、いったい、いつ頃から広がり、食文化に浸透していったのでしょうか。 

日本の「だし」の歴史を紐解きながら、九州のだし文化までを前編・後編に分けて探っていきたいと思います。 

一般的なだしの素材

昆布、カツオ、煮干し、シイタケなどが一般的な素材でしょうか。地域によって素材も違い、好みも分かれるところですが、乾物が中心で、水に浸したり、煮出して濾すなどし、その素材のうま味成分を引き出します。日本全国、飲食店や家庭でも、この馴染みのある素材でだしを取ることがほとんどでしょう。 

だし文化のはじまり 

古来よりカツオは、日本の広い範囲で食されてきました。さかのぼること約8千年前。青森県で出土した縄文時代の遺跡の貝塚からは、スズキやタイといった魚と一緒にカツオの骨が多く見つかっています。 

弥生時代から古墳時代にはすでに、捕れたカツオを干して乾燥させた「堅魚」(カタウオ)が作られ、保存されていたといいます。 

他にも、カツオを煮てから干した「煮堅魚」(ニカタウオ)に、その煮出した汁を煮詰めた「堅魚煎汁」(カツオイロリ)があります。「堅魚煎汁」は、調味料の一種で、このころから料理に使われていたそうです。こんな昔からカツオは乾燥して、煮出すという手法で料理に用いられていたなんて、本当に驚きです。 

7世紀には、律令制(※1)によって「堅魚」、「煮堅魚」、「堅魚煎汁」は、重要貢納品とされていました。 

貢納品とは、土地の使用料のようなものです。産物が採れる土地や場所は、国のものとされていたので、そこで収穫された一部を貢納するといった仕組みです。カツオの他に、アワビやナマコ、昆布といった海産物が挙げられています。 

7世紀と言えば、役人の位を冠の色で分けた冠位十二階など、近代国家としての日本の法制度と社会体制を急速に整えていく時代です。同時に、税の仕組みも整えられました。 

※1:中国を中心とする東アジア世界で行われた政治制度。日本では、天皇を中心にした中央豪族が支配層を構成していました。 

コトバンク 
https://kotobank.jp/word/%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%88%B6-149078

カツオ節のはじまり

江戸時代、カツオの名産地だった紀州(現在の和歌山県)出身の漁師が土佐(高知)に行き、現代のカツオ節の製法の「燻乾法」に近い方法で、カツオの加工技術を編み出したのが最初と言われています。 

・「ヤマキ カツオ節プラス」 
https://www.yamaki.co.jp/katsuobushi-plus/special/katsuobushidaihyakka/history/root1/

文献から見るだし文化

室町時代に始まったとされる日本料理の流派で大草流の相伝書、『群書類従』に収録されている料理書には、カツオ節を用いた「だしの取り方」が記されています。この書物が、現在の「だし」について最も古い記述とされています。 

ちなみに、日本最古の書物とされる「古事記」(712年)には、鰹節の原型とされる干しカツオ「堅魚」という文字が記されており、保存食としていたことが分かります。 

・国立国会図書館 
https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/17/2.html

昆布だしのはじまり 

鎌倉時代中頃には、蝦夷(北海道)から本州間を昆布の交易船が盛んに行きかっていたといいます。料理にも「だし」として用いられていたようです。この昆布だしは、日本の食文化を一層華やかにし、日本人の味覚の歴史を大きく変えたとも言われています。江戸時代になり、徳川幕府による北海道の開拓で、昆布の生産量が増加していきます。そこに価値を見出した江戸商人がきっかけとなり、昆布の流通が発展していきます。 

二分されるだし文化は「昆布ロード」がきっかけ説 

・関東・・・主にカツオだし 
・関西・・・主に昆布だし 

これには、「昆布ロード」の流通順路説があります。海上交通が盛んになった江戸時代、大阪と北海道を結んだ「北前船」の存在が大きく影響したと言われています。 

北海道から日本海側を南下するルートで、流通の要衝だった下関、天下の台所といわれた大阪を回りました。先に大阪商人に良質な昆布が届くため、江戸には届く量も少なかったようです。このように流通の仕組みが影響し、関東地方への普及が遅れたため、関西以南に比べると昆布の消費率が低く、「だし文化」にも影響したと言われています。 

二分されるだし文化の水質説

日本国内の水は、海外の水の硬度に比べれば軟質ですが、全国で比較すると地域によって差が生じます。この「硬度」とは、水の中に含まれるカルシウムやマグネシウムの含有量をいいます。一般的に硬水は口に含むと重く、苦みを感じ、軟水は逆で、やわらかな口当たりで甘みさえ感じる水もあります。 

この水質の違いから、硬水寄りの関東では、昆布だしのうま味を出しにくいと言われています。一方、軟水寄りの関西では、昆布だしのうま味がしっかりと出るため、昆布だしが好まれ、この水質の差が、だし文化を二分した一因ではないかという話もあります。 

※実際の水の硬・軟は、各地域によって異なります。 

だし文化のお話し前編、いかがでしたか? 
後編では、関東とも関西とも違う、九州ならではのだし文化のお話しを解説します。 

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この記事を書いた人

Motto: 食べるのも作るのも大好き

餃子好きで結成した食べ歩きの会で1晩に3店は食べ比べを楽しむことが喜び。食すのは餃子に限らない。