「九州お取り寄せ本舗」にお立ちよりくださり、ありがとうございます。
読者のみなさんのお好みは、何焼酎ですか?
筆者は甘い香りの芋焼酎派ですがテレビなどで「薩摩焼酎〇△」というフレーズを聞くと「薩摩焼酎」と「芋焼酎」の違いってなんだろうと長らく思いながらも、深く考えずにいたのですが、近頃、どうしてもそこが気になり出して調べてみたところ、明らかな≪違い≫がありました!
今回のブログは、そんな知ってそうで知らなかった芋焼酎にまつわるお話をまとめてみました。
薩摩焼酎と芋焼酎のちがい
広く説明すると、薩摩焼酎は産地呼称で鹿児島県内の地酒を指しています。
この産地呼称とは?
その産地のものを原料として作られた製品や伝統的な製法を保護する目的として作られたもののこと。世界貿易機関(WTO)の「地理的表示制度」では、以下のような細かな基準が定められています。
・原材料は鹿児島産のサツマイモ、水、米麹、芋麹を使っていること
・発酵から製造、貯蔵、容器詰め等の工程を鹿児島県内で行うこと
・単式蒸留器で造られたもの
などです。
一方、芋焼酎はこれらに該当しないものだそうです。
参考サイト
・地理的表示「薩摩」生産基準(国税庁HP)
https://www.nta.go.jp/taxes/sake/hyoji/chiri/180223_besshi04.htm
・酒類の地理的表示に関する表示基準
https://www.nta.go.jp/taxes/sake/shiori-gaikyo/shiori/2021/pdf/061.pdf
焼酎はいつから飲まれているのか
焼酎の歴史で言うと、米と麦が最も古いとされています。
ザビエルがキリスト教を伝来させた頃…
織田信長が桶狭間の戦いで荒ぶっていた頃…
16世紀にはすでに米や麦などの穀類を使った蒸留酒(焼酎)が造られており、薩摩藩でも同じように、米や粟、稗、キビなどを原料に蒸留酒が造られていたそうですが、この頃にはまだ、芋は使われていませんでした。
では、芋焼酎っていつ頃から飲まれるようになったのでしょう。
意外にも、歴史はそう古くなく、そして驚いたのが、発案者はあの、薩摩藩11代藩主の島津斉彬公。
西郷隆盛に目をかけた薩摩藩のお殿様。
NHK大河ドラマにもなった「篤姫」の父でもあります。※篤姫は養女です。
なので、150余年ほどの歴史となるわけですが、なぜ、斉彬公?酒豪だったのかしら?と、首を傾げてしまいます。
そこで、少し歴史を紐解いてみます。
江戸まで降った火山灰
16世紀頃。薩摩でも穀類を原料とした蒸留酒が主流で作られていました。
が、薩摩と言えば鹿児島の代名詞のひとつでもある桜島が錦江湾にそびえています。
いつも急に怒り出す桜島。江戸時代にも大きな噴火を起こしました。九州はもちろん、遠くは江戸まで火山灰が降ったと記録があるほどです。 薩摩藩の領土は、かなりの灰が降り積もったことでしょう。
薩摩藩一帯は、もともとシラス台地のため、農業の生産性が低い土地柄です。降り積もった火山灰は、稲作に大きな被害を及ぼしました。
参考サイト
・シラスと暮らし(鹿児島県HP)
http://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/josetsu/bumon/minsoku/shirasu/index.html
薩摩藩のイノベーション
一方、斉彬は、ひいおじいさんである薩摩藩8代藩主・島津重豪(しげひで)の影響もあり、早くから海外に目を向けます。
長崎から入ってくる西洋のガラスや陶磁器の美しさに感銘を受けたことをきっかけに、逆に、西洋への輸出品として薩摩焼を西洋人好みにアレンジしたり、薩摩切子といった現代に残るすばらしい美術工芸品を生み出します。
そして、
「海の向こうの見えない国では、見たことのないすごい武器や軍艦がある」
薩摩国を海外から守るため、最新の技術を導入するために巻き起こしたイノベーションの結果 、なんと芋焼酎が生まれます。
(話を端折ったわけではありません)
このイノベーションとは、ご存じの方も多いと思います。そうです!
世界文化遺産『明治日本の産業革命遺産』でもある国指定史跡「反射炉跡」などでも知られる通り、国防のため、自国で大砲や銃を作るための技術の模索をします。軍備の近代化を急いだわけです。
そこで、大量の工業用アルコールが必要になりました。
参考サイト
・薩摩の美術(尚古集成館HP)
https://www.shuseikan.jp/shimadzu-culture/satsuma-art/
代替品が特産物に
当時、工業用アルコールは米焼酎を作る際に出る副産物でした。
薩摩藩の米の生産量ではとても無理。代替案を考えるほかありません。
その代替品が、シラス台地でも良く育つとたくさん栽培されていた「サツマイモ」だったのです。
斉彬は、このサツマイモで工業用アルコールの大量生産を奮起します。
そして、余った酒を薩摩藩の特産品にしようと考え、飲用できるように製造方法を変えたと言われています。
まさかの焼酎の方が副産物だったのです。
幕末から明治にかけて激動の時代だからこそできた、まさに近代化が生んだ焼酎というわけです。
ということは、あの大久保利通も、五代友厚も、村田新八も・・・
多くの薩摩藩士らが盃を交わし、激動の時代のたぎる思いを語り合ったのかもしれませんね。
こうやって出来上がった薩摩藩の焼酎は、150年以上経った今でも地域ブランドとして残り、そして多くの人に愛飲されています。
芋焼酎は、なんといってもあの甘く豊かな香りが特徴ですよね。
味はもちろんですが、この独特な香りに奥深さを感じます。
そして、この香りも味。蔵元や銘柄でちがいますが、原料の芋の品種でも違います。
ぜひ、飲み比べを楽しんで、好みの香りと味に出会ってください。
おわりに
いかがでしたか?芋焼酎ヒストリー。
鹿児島の歴史150年をさかのぼることになりましたが意外なことで生まれた特産品が時を経て残るものになるとは当時の斉彬も想像していなかったかもしれません。
長く愛されている芋焼酎、この先、50年、100年とさらに愛され続ける焼酎であってほしいなと思います。
ちなみに、サツマイモが薩摩藩で栽培されるようになったのは、お犬さまで知られる徳川綱吉の時代。船乗りが琉球から持ち帰ったことがきっかけで薩摩全域に広がったと言われているようです。